2004年公開のアメリカ映画「ミリオンダラー・ベイビー」
アメリカでは興行収入1億ドルを記録し高い評価を集める一方、“尊厳死”というとても難しいテーマを取り扱っている為、宗教や政治思想など各方面から論争が巻き起こり大変大きな話題となりました。
私も初めてこの作品を鑑賞した際あまりの衝撃にしばらく呆然としてしまった事を今でも覚えていますが、間違いなく様々な事を考えさせられる作品になっています。
もしかしたらみなさんが置かれている立場によってこの作品に対する印象が大きく変わるかもしれません。
そんなたくさんのメッセージが込められた作品をご覧になられてはいかがですか?
今回は世界中に衝撃を与えた話題作「ミリオンダラー・ベイビー」のあらすじや、映画に登場する重要なキーワードについてご紹介致します。
ミリオンダラーベイビーあらすじや味わい深いネタバレについて
かつて止血係(カットマン)としてリングで活躍し、その後トレーナーとなり自らのジムを経営するフランキー(演:クリント・イーストウッド)の元に1人の女性が訪れました。
彼女の名前はマギー・フィッツジェラルド(演:ヒラリー・スワンク)
マギーはトレーラー・ハウスに住む程貧しい家庭に育ち、13歳から現在に至るまでウェイトレスとして働いていました。
お客さんが残した料理を「犬の餌にするから」と持ち帰っては自分の食事にするという貧しい生活を送る一方、彼女には心の支えとなる大きな夢があったのです。
それはプロのボクサーになる事。
マギーはフランキーに自分のトレーナーになって欲しいと頼みますが、プロになるには年を取り過ぎていると全く相手にされません。
それでも諦めず毎日遅くまでたった1人で練習に励むマギー。
そんな彼女の姿を見かねた元ボクサーでジムの雑用係として働くスクラップ(演:モーガン・フリーマン)は、マギーにアドバイスを与えトレーニングに付き合いました。
マギーの素質に気付いたスクラップは、フランキーにトレーナーになる様助言。
最初は聞く耳を持たなかったフランキーも、必死にトレーニングに励むマギーの姿に心を動かされ、「ボクシングの基本を教えたらあとは好きなだけ100万ドル稼げ」とトレーナーになる事を決断。
そこからマギーとフランキーの闘いが始まるのですが、彼らには受け入れがたい過酷な現実待っていたのです。
果たして彼らの運命は?貧困、家族問題、尊厳死など重いテーマがぎっしり詰まった衝撃作です。
まだ一度もご覧になった事がない方はぜひ衝撃的なストーリーを味わって頂きたいのですが、あえてネタバレとしてお伝えするならこの作品は決してただのサクセスストーリーでは無いという事です。
マギーはフランキーと共にボクシングの世界で活躍するという夢を叶えるため、その点においてはサクセスストーリーと言えるかもしれません。
でも彼らに突きつけられるあまりにも厳しい現実を受け止めるには覚悟が必要です。
ぜひ心の準備を整えてご覧頂きたいと思います。
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ミリオンダラーベイビーで扱っている人生の光と影の考察!そして希望と絶望が交錯しながらも必ず存在している愛の軌跡について
「ミリオンダラー・ベイビー」が描いてるテーマはあまりに重く、この作品について語る事をためらってしまう程衝撃を受けた事を覚えています。
公開当時に味わった衝撃を覚悟の上再び観ましたが、それでも心に重くのしかかり様々な事を感じました。
ここからはネタバレが含まれますので、まだご覧になっていない方はご注意下さい。
私は日頃映画を観る時に次の展開を予想したり、撮影方法や演出にはあまり目を向けず、純粋にストーリーを楽しみます。
そんな私がこの作品でとても気になった演出が“影”です。フランキーやマギーの顔に影を落とし、顔が半分しか見えない様な演出が多い事が印象的でした。
それぞれのキャラクターが抱える心の痛みや過酷な現実、待ち受ける悲しい運命を“影”で表現していたのかもしれません。
私がこの作品で心に残ったのは大きく分けると2つの点。
まずはマギーの家族についてです。
マギーは幼い頃から貧しく13歳からずっとウェイトレスの仕事をし、家計を支えていました。でも決して諦める事なくボクシング界で輝き夢を叶えます。
そして必死に貯めたお金で家族に家をキャッシュで購入しプレゼントするのですが、何と母親は感謝するどころか“生活保護”が打ち切られてしまうと怒り出す始末。
更に追い討ちをかける様に「家では無く現金が欲しかった」と信じられない言葉をマギーにあびせるのです。
マギーが試合で勝って得たお金は、彼女自身の命を削って得たと言える程重みがあるもの。そんな娘の努力や、彼女の家族に対する思いやりを母親は全く気付きません。
母親の身勝手さは更にエスカレート。
寝たきりになったマギーを見舞うと約束したにも関わらず2週間以上も放置。
やっと現れたかと思えば、ディズニーランドを家族で思う存分満喫した後まるで“ついで”の様にマギーを見舞ったのです。
ディズニーのキャラクターが描かれたTシャツを着たままの姿で。
マギーは全身麻痺で一切体を動かす事が出来ません。
普通ならそんな彼女の事を気遣うはずですよね。ところが帰り際財産を自分名義にする書類にサインをする様マギーを促す母親。
更に手足が動かせない事に気付いた母親は、ボールペンを彼女の口に何度も突っ込むという信じがたい行動に出るのです。
あまりにも身勝手な母親の姿に心が苦しくなりました。
苦しむ娘に愛情のかけらも見せず、考えるのは自分の事だけ。母親以前に“人として取る行動なのか”と考えてしまいます。
マギーの身勝手な家族の姿を見てふと「家族だから深い絆を持てるわけではない」と考えさせられました。そして「愛する家族を持てる事はとっても幸せな事なのだ」とも。
最近日本でも虐待のニュースが大きく取り上げられていますが、家族だからまたは親だから深い愛情を与えてくれるとは限らない。
家族との縁は希薄だったマギーとフランキーが強い絆で結ばれた姿を見ると、家族だからとか他人だからといったものは全く関係無いのかもしれません。
また自分の事しか考えないマギーの母親の姿を見て、「人を思いやる事の大切さ」を改めて目の前に突き付けられた気がします。
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マギーの家族と共にこの作品で考えられるテーマは“尊厳死”
これは本当に難しい問題だと思います。
「ミリオンダラー・ベイビー」ではマギーがフランキーに「自分の人生の終わりは自分で決めたい」と頼まれ その想いを引き受ける形になりますが、どちらの立場も苦しいものですよね。
特にフランキーの苦しみや辛さは痛々しい程心に突き刺さりました。
神父さんがフランキーにかけた「手を貸したら永遠に自分を見失う」という言葉も忘れられません。
マギーとフランキーはボクシングを通して固い絆で結ばれました。フランキーは音信不通の実の娘とマギーの姿を重ね合わせていたのかもしれません。
大切な存在であるマギーを苦しみから解放させてあげたいという深い愛情があったからこそのフランキーの行動だったのではないでしょうか。
でももし自分がフランキーと同じ立場に立たされたら?
想像しても答えは中々出ませんが、私にはあまりにも責任が大きすぎて現実から逃げ出してしまうのではないかとすら思えます。
実際アメリカでは蘇生措置拒否(DNR)により本人の希望で人工呼吸器を外す事は認められています。それによって医師が法律で裁かれる事はありません。
では日本はどうなのかと言うと尊厳死に関する法律がない為、例えリビング・ウィルがあったとしても人工呼吸器を取り外す事は出来ないという声が医療現場では圧倒的に多いそうです。
本人の希望があっても家族が訴えれば医師は罪に問われる事もあるそうで、現実はとても厳しいものなのかもしれません。
永遠に答えが出ないようなテーマにみえる尊厳死。みなさんだったらどんな最期を望まれますか?
きっと多くの方が長く苦しむ事だけは避けたいと思われるのではないでしょうか。でももしかけがえのない存在がその様な立場に置かれたら?
苦しみから解放させてあげたいと思う一方、どんな形であれ1日でも1分でも多く一緒に過ごす時間が欲しいと願いませんか?
生きていれば誰にでも必ず訪れる“死”
普段目を背けがちなテーマだからこそ「ミリオンダラー・ベイビー」を通して向き合って欲しい、そんなメッセージが込められている気がしました。
みなさんは一体何をお感じになるでしょうか?ぜひその目でお確かめください。
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ミリオンダラーベイビーのモクシュラの意味しているものとは?
フランキーからマギーに贈られた「モ・クシュラ」と記された緑色のガウン。連続でK.O勝ちするマギーに対し観客達から大きな「モ・クシュラ」コールが響き渡ります。
マギーが言葉の意味を聞いてもフランキーははぐらかし教えてくれませんでしたが、最期に伝えるシーンは本当に印象的。
ご覧になった方は印象に残っていらっしゃると思いますが、2004年公開された映画の中で最も影響力があるフレーズとして賞賛されました。
「モ・クシュラ」はゲール語で、この作品の中では“あなたは私の親愛なる者 あなたは私の血 ”と訳されています。
でも本来はゲール語の親愛を表現する言葉で「A chuisle mo chroi」“ああ、私の心臓の鼓動よ”という意味だそうです。この言葉の短縮形が「モ・クシュラ」という事になります。
いずれにしても親愛なる大切な存在の人物に贈る言葉だという事が分かりますよね。
最初はマギーのトレーナーになる事を拒んでいたフランキー。でもいつしかお互い家族以上のかけがえのない存在になりました。
フランキーがマギーを大切に想う気持ちが、ガウンに記された「モ・クシュラ」に表れています。
そんなフランキーの想いを背負い戦いに挑んだマギーに待ち受けている辛い現実。
試合で負った怪我ならまだしも相手の反則による怪我だからこそ、悔しくて仕方がありません。本来のボクシングでは絶対この様な事は起きず、ボクシング関係者から批判もあった様です。
でも人が生きていく上で良い事ばかりでは無く、アンフェアな事にも遭遇したりしますよね。そんな厳しい現実社会を表現したかったのでしょうか。
まだご覧になっていない方は衝撃的なシーンが登場しますので、ぜひ心の準備をして頂きたいと思います。
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ミリオンダラーベイビー!デンジャーの織りなす希望の光
フランキーのジムに通うジェイ・バルチェル演じるデンジャー。
彼はウェルター級のチャンピオンになる夢を抱いていますが、実力はイマイチ。心は人一倍強いものの仲間からは毎回からかわれ、見るからに弱そうな存在です。
でもボクサーに必要なのは強さを備えた実力と強い心。どちらかが欠けていても試合で勝つ事は出来ません。
デンジャーはある日仲間にボコボコにされ、ジムから姿を消してしまいました。
そのまま逃げてしまったのかと思いますが、映画のラストで再び笑顔で登場します。
当初から変わる事がないウェルター級のチャンピオンになる夢を抱いて。そんな彼の姿は「諦めなければ夢を叶えるチャンスはいくらでもある」という希望を表しているのかもしれません。
全体的に重い空気が流れる中、デンジャーの存在は少し心が和む気がします。
またデンジャーを助け、優しく見守るモーガン・フリーマン演じるスクラップ。
スクラップのナレーションで幕を開け、同じくスクラップのナレーションで幕を閉じるのですが、落ち着きのある優しい語り口調が衝撃的なストーリーを少し和らげてくれているのではないでしょうか。
自らも辛い経験をした元プロボクサーだからこそ、深みがあるスクラップの言葉の数々。
ぜひ彼の言葉にも注目してご覧ください。
ミリオンダラー・ベイビーの原作やこの映画に込められている意味や解説などの詳細はこちらの記事もご覧くださいね↓
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ミリオンダラーベイビーの考察やあらすじとネタバレ!モクシュラやデンジャーのまとめ
2004年公開のアメリカ映画「ミリオンダラー・ベイビー」についてご紹介させて頂きました。
扱っているテーマはどれもシリアスなもので重く心にのしかかってきますが、間違いなく色々な事を考えさせられる作品になっています。
正直落ち込んでいる時にはオススメ出来ませんが、クリント・イーストウッド監督の深いインサイトに根ざした、手応えのある本物の「人生の光と影を表現した作品」を観たいと思われている方にはおすすめです。
でも心に響く作品をお探しの方にはオススメなので、興味がある方はぜひご覧頂きたいと思います。